最低。

最低。

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世に出てくる高専卒を追うのがライフワークにあって、文芸でいうと乙一こと安達寛高さん(久留米高専出身)の本を軒並み読んでいた頃から久しく一冊が増えた。ちなみに最近になってコロプラの馬場さんが都城高専出身だったことを知った。

前著の高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職はあまりに読むのに苦労する文面で途中で諦めてしまったのだが、それが前提にあったためか随分と文がうまくなった印象が強かった。どこまで校正や編集でのカバーがあったのかはわからないが、乙一のデビュー作が高専の2年生の夏に書いたものだったことを知った時の驚きに近しい。という意味では著者の人物補正を自分がかけがちで、経歴や実績で人を判断する節が少なからずあるようで辛い。

ただ、アダルトビデオの現場を取り巻く人物や描写の表現について、リアリティがあるのか無いのか判断出来なくて、著者の職業が前提にあると実際にこうなのであろうと信じてしまうのだが、これを匿名や関わりのない作家が書いていたら嘘くさい表現である疑いかねない。何が書いてあるかよりも誰が書いたのであるかが重要となってしまうことを否定出来なくて少し残念に思う。

内容としてはそういう物語があるのかもねと面白がりながら読んだが、不倫とかその辺の描写に自分がめっぽう弱いようで部分的に読み切るのが大変であった。

ワーキングカップルの人生戦略

2人が「最高のチーム」になる―― ワーキングカップルの人生戦略

2人が「最高のチーム」になる―― ワーキングカップルの人生戦略

あまりカップルの戦略というわけではなく、共働き世帯で夫婦がそれぞれで何をしていいかという視点が独立して書かれている部分が大半で、協力した運用体制やペアのための制度、仕組み、ツール等への言及があまりなく、タイトルや目に入ったレビューからの想像と違う面が多かった。カップルのそれぞれが働く上で、「ワークライフバランスを保てるよううまいことやっていきましょう」に収束していくような話題が繰り返されている。ワークライフバランスという言葉もそうだが、著者達の著書や事業の名前が度々出てくるのがなかなかのノイズであった。

どのような運用をしているかという事例が並べられたページは、実践している本人の字面だけでとても面白いと思える内容だったが、情報元となっていたパパスイッチというサイトはもう見られないらしい状況である(そして調べてみるとパパスイッチという名前は別の意味で世では話題だったようだ)ことが残念。並べられた何かを実践していくというよりは、そういう考え方をするのねと拾った上で、自分でやはり組み上げないとなあという感想で、もう少し具体的な事例が大量に並んでいるものを眺めたいことが分かった。知人に聞こう。あと、介護休暇という制度を初めて知った。

関係ないが、自社の就職説明会の時にかつての同僚が学生に向かって「嫌いな言葉はワークライフバランスです」って自己紹介したのをとても面白がったことを思い出した。

何度でもオールライトと歌え

何度でもオールライトと歌え

何度でもオールライトと歌え

ブログで読んでいた文章が、面白いカテゴライズで読みやすく構成されていた。あとがきにもある通り編集がとても良い。本人以外が誰かの作品群に対してカテゴライズやタギングをやるだけで見え方がひとつ増えるのがよくわかる。単純に分類を寄せただけでなく、何年も前に「これをやりたい」と綴っていた次のページには数年後にそれを実現していること、同じ言い回しが離れた日付の間で繰り返されていることが記事の並びで表現されていることにハッとすることが何度もあった。順番に追っていた身からすると気づくこともない。

常に更新された記事をPocketに流してタブレットで読むくらいには追いかけているものの、ふわっとしか話を覚えておらず、その文章を読んだことがあるはずなのに何だか新しそうだと思いながら読むのは不思議な心地がした。加筆や修正が具体的にどういうものであったかはあまりわからず差分をどこかで見れないものか。せめて各記事毎へのリンクが欲しくなる。

IFTTT Recipe: Read Gotch Later with Pocket connects feed to pocket

何かやっているおっさんがつらつらと書いた文章を好き好んで読めるのはただのファンだからかもしれない。気になる人間の言動、振る舞いを愛でるように眺めるストーカー体質であるが、既にファンとなった理由も思い出せないどころか、ファンであるかどうかを都度判断する部分も麻痺してしまっており、もう彼がどんなに自分の嫌なことを言おうが、ひどい曲を売りだそうが目で追うのを辞めることは無さそうで、新しく見られる彼の何かをいつも無言で手に取っている。小倉駅裏のラフォーレ原宿に入っていたタワーレコードで「君繋ファイブエム」を手に取ってから始まったこれはもう13年が過ぎようとしている。確かその時は学ランを着ていた。

ファンというのを差し引いたとしても、きっとこの文章を読んでいたら面白がっていたのだとは思うが、世で売れたバンドの一員でなければ、十何年も繰り返し散文を残し続けられている40歳弱のおっさんの本を自分や世の人が手にとって読むことはなかったかもしれないのだと思うと切ない。

終盤にかけて政治、原発、震災に寄った文が多く、読後感は少し歯切れの悪いものになったが、改めて載った「砂の上」を見て聴き直しながら感想を書いた。