丘の上の綺羅星

偶然ハンバーガーショップという曲?を聴いて面白く思ったことから、嘉門達夫の曲を軒並み集めて全て歌詞を覚えてしまっていた頃がある。その割に、その歌い手がどんな人であるかをあまり知らなかったので、最近何かの拍子で見かけて読んだ。

丘の上の綺羅星

丘の上の綺羅星

自伝のように紹介されていたのを見て購入に至ったような気がしたが、笑福亭笑光としての修行時代についての話がほとんどで嘉門達夫として動く頃までが述べられており、全体としては「ヤングタウン」についてのアーカイブを意図しているものであるようだった。何もわからずに読み始めた最初の章で出てくる若者は、そもそも嘉門達夫ですらなかったことを次章までわからずに混乱したものの、中盤までの丁寧に書かれた生い立ちや出来事は読んでいて飽きなかったが、終盤にかけて繰り返されるヤングタウンおよび同番組プロデューサーについての話には、世代が大きく離れた人々の思い入れに疲れてしまった。

文中で度々様々な曲の歌詞に出くわすのだが、未だに覚えている替え歌メドレーの歌詞がKindleの上に表示されているのには変な心地がした。巻末にそれぞれの替え歌の元曲の歌詞がまとめられているのは替え歌におけるマナーなのか、著作権上の都合なのかよくわからないままである。

今でも活動しているようでYoutubeなりで観てみたが、子どもの頃何故あんなに嵌ってしまっていたのかはちょっと自分でも理解出来ない。

79: 三十歳になった

https://instagram.com/p/BJlnMUOAMuD/

今年の8月は入籍、退職、転職、引越し、30歳(成人みたいな熟語が欲しい)と変わり目の集まる月となった。 というのを上長に少し漏らしたら、彼女はPTOでオフィスに居ないというのに手を回してくれて、当日にはチームや入社に関わった人々からのメッセージカードに加えてケーキが準備されてしまい、入社初週の末だというのにとりあえずめでたい奴という認識を同僚からは受けている。一方で僕はその場に立ち会ってくれていた人々の顔と名前が未だに一致させられていない。

ウェブの上では、何年か前まではここぞと組み上げたウィッシュリストを晒して、Facebookで貰うお祝いのメッセージを繰り返し確認していたものだが、祝って貰っておきながらお返しが出来なかった不義理やその逆に気づくこともしばしばあって、気を揉むのに慣れなくて誕生日自体を表示しないようにしてしまっている。そんな中でもわざわざ思い出したり、別の場所での小さな声に気がついてくれてSixeight, tricknotes, zzakがお祝いを贈ってくれたことが嬉しかった。ありがとう。

https://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/1U1J17EZM8CP1

soilのバスマットとカバーを並べていたのだが、カバーを2枚頂いてしまい実体が手に入っていないのはちょっと粘って誰かに贈られたい気持ちが少しくらいはある。

ラベルの追加だけではなく、削除を伴うもの。あるいは状態の遷移

30になったのだという事実にはあまり感慨深さみたいなことは無かったものの、ふと20代では無くなったということに、しばらくして気づいた時にちょっとした喪失感を認識した。若くて突飛そうなことをやっている者というのだけではいかんよなあと、足元を固められるような努力を怠っていたツケを早々に払いたく思っているけれど、情熱も集中力も今まで以上に練り出すのに気力が要る。と、まだ30で何を言っているのだと小突かれるようなことを言っている。

の通り、周りに居た人たちの傍で若者ヅラ(今や10代が働いているあの会社も、僕が入った時は社員最年少であった)をしていて、相当なイベントのように伺っていたが5年経ってみると僕の加齢など取るに足らない。81年生まれの皆さんの益々の活躍を見るともう5年引き続き予断している場合では無さそう。その彼らの中でも特に、セコンさんの記事が当時から異様に印象に残っている。今でこそ僕から見えるウェブの世界の人々の数はとても増えたけれど、その頃は一番人口が多い年齢層の人たちが変わり目を迎えていたように思う。

ちなみにセコンさんとペアプロした時にwatchrのセットアップを一緒にやってもらったし、未だに僕は色んなプロジェクトで使っているけどモダンそうなツールに上手く移行出来ていない。今は僕がペアプロした相手になんだこのツールはと尋ねられることが増え、日本から来た変な道具を繰り出す奴みたいな立ち位置になったりならなかったりしている。

78: 結婚をした

https://instagram.com/p/BH_eYZqAM1u/

無事に新たな籍が作られた。婚約のような形になるまではほんの数日のことであったが、そこから10ヶ月程を経てしまい、親族の面々は危なっかしく感じていることには変わりがなかったかもしれないが、当人たちにとってはようやくという印象に変わっている。お礼とか報告ではなく、事実と気持ちの整理をする。

10月下旬のその後は、冬に改めて会ってからの意志確認、春にそれぞれの実家への挨拶、この夏で両家の顔合わせと四半期ごとの帰国で同居しながら、それらしいイベントを順当に過ごしていた。

当事者間のことについては、ハイジの記事にある事実の通りで、

この記事が予想以上に多くの人に届き、多くの人からの祝福(とてもありがたかった)と同時に憶測、感想などをブックマークコメントはじめ色んなところで読むことが出来て面白かった。先方のご家族に顔を見せるよりも先に、こういうインターネット上での見え方をし得ることも予想されたのもあって、先方の実家に挨拶に行くまではそういう記事を出さないで欲しいと頼んでいたので、事が始まった10月下旬から既に半年を過ぎて見れたというのも良かった。事後早々だと受け止めきれなかったんじゃないか。

僕の立場について、ずっと気にしていたとか虎視眈々と機会を伺っていたとか言われることが多いのだけど、自分でも残念ながらそういう純真さがあったわけではない。というのも、彼女の記事にもある通り、年に1, 2度ほどアルバイト組で集まって飲む時に会っていたくらい。その都度だいたい厄介そうな恋愛をしている話を聞いては、おっかない気持ちになって同情だけを送信するような酒の飲み方をしていたし、直近のその会では、そういやハイジは結婚しないの?という地雷を真っ直ぐ踏み抜いて呆然とさせる側であったから、あまりハートフルなストーリーにはしかねるものがあった。強いて言うならプロポーズをする3時間くらい前に狙い始めた。

当初サンフランシスコに来ると聞いた時は、本当に来るのだったらもてなさねばならぬ...というプレッシャーに駆られ困ったのは事実だけど、中学生みたく友人にその話をしていたログがあるので、満更でもなかったのだと思う。ただ、今度遊びにおいでの言葉に真っ直ぐにやって来てくれた人は初めてだった。

結果としては関係を変えてから、どんどんと面白いものが出てきたので何より。ちょっと合いすぎてて怖いくらい。もっと早くこうなって、もっと時間を共有出来たのではないかと過ることもあるが、数年早かったら多分全然合わなくて駄目だったのだと思う。こちらだけの意見だけど、割とお互い辛い思いをしてきた後で良かった。爆弾になりそうなものも、もうだいたい出たかなあ。

突然さについてはさぞかし周辺、特に親族は困惑したことだろう。自分の母は僕が冬にその旨を伝えてからしばらく寝込んだらしい。同時に、先方のご両親への無礼を弁えろと結局この歳になっても親に叱られて行動を正すことになるのだから頭が上がらない。冬に挨拶の予定を組みきれず、手紙で無礼を詫びるところから始まったが、寛大なハイジの両親のおかげで今この状況がある。挨拶に際しても、瞬きをする間に現れた馬の骨を相手に、真っ直ぐに接してもらえたのは本当にありがたいとしか言えない。なお、早々に結婚する理由がないのではないかという問いに、早々に結婚しない理由がないとおかしな論理を展開したことは時間が経つと恥ずかしくなりすぎて隠してしまいそうなので書き残しておきたい。

入籍の前にはと約束した両家の顔合わせ(当人たちに任せてやらない方向でと言っていた結納の儀を母が突然繰り出し、何の会と呼んでいいのかはわからなくなった)を経て、その翌々日には同様にアルバイトで一緒だった友人二人に婚姻届の保証人になって貰い、渋谷区役所の仮庁舎に届け、数日後には戸籍が出来ていた。ここまで10ヶ月強。これからあとはもっともっと長いけどそれなりにやっていけそうというのが今の状態。

ちなみにはてなのアルバイトの間は、まともに会話をしたことがない。