86: 🔁2️⃣

https://instagram.com/p/Be4p52xgxrg/

入社して2年が過ぎた。おかげさまで仕事はどうにか続けられている。取り立てた変化はないが、「前よりはマシ」を繰り返している瞬間は度々あって、総合的にはまだまだコミュニケーションがしんどいものの、常に良くはなって行っているので辛抱強くやっていこうと思うしかない。幸い評価もついてきている。

2年も過ぎるとなかなか古めの人材にカテゴライズされ始めるのだが、雇われる方も雇う方もそれぞれが流動性を高めているのを目の当たりにすると、あまり長く居すぎてはいけないのではないかという感覚にさえなってしまう。近くに居たはずの人がレイオフされたり、すぱっと辞めていくのを横目に少なくとも自分が切られないだけのパフォーマンスを出し続けなければならないのは少し堪える時もある。残念ながら解雇がほぼ国外退去を意味する立場が続いているばかりに。

職業プログラマ

ソフトウェアエンジニアとしては組織の中で自分が最も知る領域というものが順に増えてきており、逆に組織全体に対してどのように導入や適用をするか、自分が開拓してきたエリアで自分以外がどううまくコードを書けるようになるかみたいなことに頭を使う面が多くなってきて、正直なところあまり楽しいとは言えない。というのは、言語や文化の差異に翻弄されていた状態が落ち着いてきたこともあり、ではどういうエンジニアと働きたいかというところまで視界を広げられたことに尽きる。いかんせんソフトウェアについて仕事でだけ必要な箇所を学び、仕事だけで書くような職業プログラマが多いのだ。

他の職種を顧みた時に、性質上業務上でしか触れられないものもあることを考えるとおかしいわけではない。それでやっていける能力があり、限られた時間だけ働き、世の水準に比べれば優に高い給与にありつけるのだから、素晴らしいことである。

もちろん全員がそうであるという話ではなく大部分がそうであるかつ、それで十分なのだ。

ただ、どうしても日常から好きで情報を追って、余暇で何かをつくってみるような人たち、自分の知らないことを持ってきてくれる人たちと仕事をしたいなあと、ちょっとドキュメントを読めばわかるようなこと、全体の仕組みがわかっていれば簡単なこと、普段使うはずのツールの操作方法を尋ねられる度に複雑な気持ちになる。

その面では今まで居た場所が全て恵まれ過ぎていたというのと同時にそれは異常事態だったのかもしれない。当時、そんな大変なこともあるんだねえと思った他社の面倒そうな内情と同じようなこと(例えば「オープンソースへ何かを出すのに社員の時間を消費することについて会社は積極的ではありません」みたいな)が自分に降り掛かっていて、よくあるソフトウェア屋さんらしき悩みに初めて直面しているような節もある。

しばらくは付き合いを続けるつもりの会社なので、この悩みと向き合うのか、諦めるのかは未だ決めかねているが、今までお手本のように居てくれた周りのソフトウェアエンジニア達の素敵さ、それを最大化していたマネージャ、経営者の振る舞いを思い出している。

y7: 再々開する

うっかりRubyKaigiでヨーヨーを触った後に高揚したのか、アフターパーティで知人に最近のヨーヨーについて話したあたりから再開に向いてきた。「最近の」といっても、少なくともこのブログの記事としては3年弱前になるが、結局は猫に気にされるのを気にしてしまい練習を封印したのであった。

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とりあえず新しい本体を買うことで少なくとも勿体無さで触らざるを得ないようにしようと、偶然どこかのタイムラインで流れてきたTurn Table 2に飛びついて購入した。ケースも付いているというのでさっと仕様を眺めて注文した。愛用のShutterの倍近くすることに気づいたのは、注文後しばらくしてShutter用に買い足していたベアリングのことを思い出しサイズを確認したときだった。

金額によって恣意的に判断しているかもしれないが、いくらか使いやすいような気はする。かつて習得したトリックについては映像を見直しながらであれば改めて出来るようになるのだが、どのようなトリックをやっていたかが記憶からすっかり抜け落ちていて、自分の撮った動画を見直しては「あー、あったあった」と繰り返している。一通り出来るように戻ってから、1Aトリックをちまちま追加で覚えて行くつもり。買っちゃったしさ...

少しだけやる気に下駄を履かせられるよう、メインのInstagramアカウントからメンションをする投稿をした。今はInstagramストーリーというもあるので、ざっとした練習とかはそれで流すというのものいいのかなー。

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85: 分からんちん

https://instagram.com/p/Bd3jHXzgBoV/

年が明けて前までのチームでの仕事に一区切りがついた。フロントエンドのアプリケーションフレームワークの調査や検証をやっていたのだが、自分が流れで担当させられたVueは途中で飽きてきたというか結局繰り返しコンポーネントをつくってな...みたいな体験はAngularJSの時から変わらない世界に疲れて、Elmのペアプロをやった後に取り憑かれてしまった。入社当時Functional Fridayという社内の関数型プログラミングの勉強会(今は木曜になってThunk Thursdayになった)で、少し触るようになっていたHaskellの味がようやく染み出してきたのかもしれないという気分。空いた時間で少しずつ自分のサイトをElmで書き直してみている。

次は創業者がPMをやっているチームに移って仕事をしている。会社が10周年で、本当にサービスのことばかりを考えてきたんだなあと話を聞くだけで嬉しい気持ちになる。もう少しこちらからも良いことを伝えられないともったいない。

「傷つくなぁ。」

というツイートを見てハッとした。普通に人が傷つくことが書いてあるのだけれど、それがさも「そういうもの」とでも言うように思っていた自分に対して悲しい気持ちになる感じ。はてなはよくわからない免疫があるのでどうにかなっていたのか、News Picksというサイトで同じように何かのページなりに対して誰かが残すコメントたちを見て大変不快になることが多くて、最近ちょっとキツかったのを見てからはすぐに閉じるようになった。

当たり前のように「ひとの気持ちを考えましょう」みたいなのが根底にはあるはずなのに、ウェブで何かを発せば必ず誰かが傷つくことには諦めがついている気がする。誰かが傷つくものだと思ってしまっているから、その延長で、誰かが誰かをまっすぐに傷つけていることにすら鈍感。きっとはてなブックマークは見すぎてそうなってしまって(もっと前なら確かにどんよりしていた覚えがある)、News Picksはまだ慣れていないんだろう。あの、人の名前より肩書がfont-sizeとは裏腹に主張してくる感じに。