87: 自惚れられない癖

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ちょっと調子に乗ると大抵良いことはない、自信をみなぎらせて何かを誤ると滑稽であるという直感に根ざして、自分のベースの心理的安全性が低くなることにはほとほと呆れるものがあるが、一生脱せないものであることもわかっている。まあ、主に英語の話だ。おかげさまで未だにLinkedInでのEnglishに対してのLanguage欄は"Limited working proficiency"を示している。ひとつ上の"Professional working proficiency"にしてはどうかと2年前の就職活動の時に勧められたこともあるが、これはこの言語と向き合う時間が増えるほど簡単に上がらない気がしている。「完全に理解した -> チョットデキル」の図式と同じなのだろう。

「これ、3年くらいは辛いんだろうな」って、2年前の入社直後に書いていたのを偶然(とうとう閉じてしまうPathのログをエクスポートしたら)見つけて、割とあたっているようだし、もう1年辛いことが辛い気持ちになった。

そこかしこに成功体験はある。ミーティングをうまくやり通せた(やり過ごせた)とき、レトロスペクティブで言いたいことを言いのけたあと、ぱっと声をかけられ求められたヘルプに口頭で原因と解決方法を提示など、これ気分良いなというのはその後数時間か数日ほどは、その手触りを反芻して「完全に理解した」を味わうのだが、早々にコミュニケーションに失敗したり、他者から言語上の問題で気遣われたり、避けられたという状況に直面してまたリセットされる。こうなることへの恐怖心が強く、いつまで経っても我が物顔で第二言語を発せないのである。スキルがあるとは言えないものの、そういったことを何も気にせず話せていた知人たちを時々思い出して羨ましくなる。しかも、そういう人ほどこういう渡米をして全く新しい社会で暮らすことには向いているので、何故自分がこんな向かないことをやって、この歳で毎日恐怖をふんだんに味わっているのを俯瞰して笑えてくる。

自分には強制的なそういうやつがないとすぐ怠けるのでと、しんどいのうって思いながら生きることにしている。

残業代みたいな昇給

本人とは裏腹に上司や一部の同僚は僕に対してとても前向きである。というよりは、彼らはあまり言語について問題視しないのである。先の記事で2年が過ぎたと書いたが、その後半期の査定があったようでありがたいことに微々たるものだが昇給して貰えた。聞くに評価の部分は、通常業務上では言及がなく、僕が追加でやりたくてやっていたこと(デザインシステムの構築やコンポーネントライブラリの提供)が全プロダクトチームに良い影響を与えるものであったが故であった。例外的なものらしくそれを強調された(VP of Engineering から近くの個室に連れられ堅く握手をされる)が、いわゆるタイトルの変わるプロモートではなく、「これ放置して先に進むの?」みたいに言うのが苦手で、個人の時間で対応していたことが業務として観測されただけという解釈も出来るのでどうも素直に喜びづらいものでもあった。

好きにやった何かが評価されるのはありがたいので是非次のAnnual Reviewにはもうひとつ何かやって、タイトルを上げてもらって年収を200万円くらい載ることに飛び跳ねて喜んで、VPoEにハグでも求めたい。といってもまあ、前述のコミュニケーションがネックで自分のタイトルが頭打ちしている感も否めない。

最近はフロントエンド大臣みたいな状態になってきていて、次はとうとうプロダクトの顔であるところのキャンペーンページの表側をまるっと書き換えるプロジェクトをリードすることになったのだから、結果にあやかりたいものである。既に2度ほどやったステークホルダーでのミーティングでは破滅的な発語を繰り返していて、このクォーターを乗り切れる自信がない。

86: 🔁2️⃣

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入社して2年が過ぎた。おかげさまで仕事はどうにか続けられている。取り立てた変化はないが、「前よりはマシ」を繰り返している瞬間は度々あって、総合的にはまだまだコミュニケーションがしんどいものの、常に良くはなって行っているので辛抱強くやっていこうと思うしかない。幸い評価もついてきている。

2年も過ぎるとなかなか古めの人材にカテゴライズされ始めるのだが、雇われる方も雇う方もそれぞれが流動性を高めているのを目の当たりにすると、あまり長く居すぎてはいけないのではないかという感覚にさえなってしまう。近くに居たはずの人がレイオフされたり、すぱっと辞めていくのを横目に少なくとも自分が切られないだけのパフォーマンスを出し続けなければならないのは少し堪える時もある。残念ながら解雇がほぼ国外退去を意味する立場が続いているばかりに。

職業プログラマ

ソフトウェアエンジニアとしては組織の中で自分が最も知る領域というものが順に増えてきており、逆に組織全体に対してどのように導入や適用をするか、自分が開拓してきたエリアで自分以外がどううまくコードを書けるようになるかみたいなことに頭を使う面が多くなってきて、正直なところあまり楽しいとは言えない。というのは、言語や文化の差異に翻弄されていた状態が落ち着いてきたこともあり、ではどういうエンジニアと働きたいかというところまで視界を広げられたことに尽きる。いかんせんソフトウェアについて仕事でだけ必要な箇所を学び、仕事だけで書くような職業プログラマが多いのだ。

他の職種を顧みた時に、性質上業務上でしか触れられないものもあることを考えるとおかしいわけではない。それでやっていける能力があり、限られた時間だけ働き、世の水準に比べれば優に高い給与にありつけるのだから、素晴らしいことである。

もちろん全員がそうであるという話ではなく大部分がそうであるかつ、それで十分なのだ。

ただ、どうしても日常から好きで情報を追って、余暇で何かをつくってみるような人たち、自分の知らないことを持ってきてくれる人たちと仕事をしたいなあと、ちょっとドキュメントを読めばわかるようなこと、全体の仕組みがわかっていれば簡単なこと、普段使うはずのツールの操作方法を尋ねられる度に複雑な気持ちになる。

その面では今まで居た場所が全て恵まれ過ぎていたというのと同時にそれは異常事態だったのかもしれない。当時、そんな大変なこともあるんだねえと思った他社の面倒そうな内情と同じようなこと(例えば「オープンソースへ何かを出すのに社員の時間を消費することについて会社は積極的ではありません」みたいな)が自分に降り掛かっていて、よくあるソフトウェア屋さんらしき悩みに初めて直面しているような節もある。

しばらくは付き合いを続けるつもりの会社なので、この悩みと向き合うのか、諦めるのかは未だ決めかねているが、今までお手本のように居てくれた周りのソフトウェアエンジニア達の素敵さ、それを最大化していたマネージャ、経営者の振る舞いを思い出している。

y7: 再々開する

うっかりRubyKaigiでヨーヨーを触った後に高揚したのか、アフターパーティで知人に最近のヨーヨーについて話したあたりから再開に向いてきた。「最近の」といっても、少なくともこのブログの記事としては3年弱前になるが、結局は猫に気にされるのを気にしてしまい練習を封印したのであった。

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とりあえず新しい本体を買うことで少なくとも勿体無さで触らざるを得ないようにしようと、偶然どこかのタイムラインで流れてきたTurn Table 2に飛びついて購入した。ケースも付いているというのでさっと仕様を眺めて注文した。愛用のShutterの倍近くすることに気づいたのは、注文後しばらくしてShutter用に買い足していたベアリングのことを思い出しサイズを確認したときだった。

金額によって恣意的に判断しているかもしれないが、いくらか使いやすいような気はする。かつて習得したトリックについては映像を見直しながらであれば改めて出来るようになるのだが、どのようなトリックをやっていたかが記憶からすっかり抜け落ちていて、自分の撮った動画を見直しては「あー、あったあった」と繰り返している。一通り出来るように戻ってから、1Aトリックをちまちま追加で覚えて行くつもり。買っちゃったしさ...

少しだけやる気に下駄を履かせられるよう、メインのInstagramアカウントからメンションをする投稿をした。今はInstagramストーリーというもあるので、ざっとした練習とかはそれで流すというのものいいのかなー。

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