88: 二馬力

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ハイジが働き始めた。今となっては人が羨むアメリカのH-1Bビザのホルダーにも欠点はいくつかあるのだが、その代表的なものに同行者にあたるH-4ビザでの入国者が労働出来ないというのが、専門職に就いていた配偶者を持つ僕にとっては特筆事項であった。インターネットがまともに無い頃に作られたルールとのことで、「労働できない」の解釈も曖昧で、リモートワークで日本源泉の仕事をすることも人によっては良い、悪いの意見が分かれることも多く、テクニカルにどう対処するかをずっと頭の隅に置き続け、居心地の悪い立場を過ごしていた。当人はある側面では自身のアイデンティティの大部分を潰されたような心地だったろうし、申し訳なく思うと同時に「働かずに好きなことをしていい」という現実に対しての羨ましさもあり、何度か衝突もあった。

未だ手に入っていない永住権だが、その中途で特定のステータスになり、ビザに依らず働くことや再入国することを認めてもらえるようになったのであった。これが予想よりも半年近く早く来たのだから状況は急転した。

おかげさまで過程も結果も素晴らしく、(晴れて?)共働きとなったのであった。こうなって初めて、自分が働き続ける決意や自分の昇給を視野にした行動に勝手に縛り付けられていたことに気づいた。自分が頑張ったところで年200万(ドル受け取りだが円換算の方が感情が乗る)が最高のパフォーマンスを出せたところでのせいぜいの昇給額であったところが、突然横から1千云百万が湧いてくるのだから衝撃である。それはよほどの衝撃で、自宅では「ゲームチェンジング」と繰り返していた。飛び降りるかもしれない先に十分なクッションが見えることの生きやすさといったらないが、こうなったことで気づかなかったつもりだった職場での不満が上手に言語化出来るようになってしまい笑えてしまう。なんと視野の狭かったのかというか、何をこんなに情けない言葉を漏らしているのだ。

妻にパートでも良いから働いて欲しいみたいな家庭の何かのシーンに対して、そんなもんかねえと思っていたことが、強く同意するとまでは行かずとも、十分に理解出来る気持ちに昇格したのだから恥ずかしい。世では二馬力と呼ぶらしい。

僕が作り出した動きにくさから解放された彼女が新しいチャレンジをやれる様子を見られるようになって嬉しく、変なつっかかりがひとつ取れたようだった。

凍った脳みそ

技術書ではない次に読みたい本が決まったので、中途半端に読んで放置していたものを読み切った。

凍った脳みそ

凍った脳みそ

タイトルは後藤正文氏のレコーディング用スタジオであるCold Brain Stuidoにちなんだタイトル(BECKの"Cold Brains"から来ているとのこと)。大いに自分の書いている文に影響をしている、使いたいことが優先された響きのある比喩や、くどいほどの数の例や該当する情報を並列で並べる癖を一冊通して見続けるのは、なかなか堪えることもあった。彼にとっての歌詞や僕にとってのコードのように比較的短くせざるを得ない制約はとても功を奏しているような気がする。

話は概ねスタジオの構築の話に終始するが、海外でのレコーディングについても触れられ、ファンとしては連載を全て辿るのには大変なのでアーカイブとして出してくれてありがたいというのが感想になる一冊だった。

前のものからしばらく開いたが

その間に出たもう一冊は読み始めにくじけ、付属のCDだけリッピングして未だに読んでいない。

YOROZU~妄想の民俗史~

YOROZU~妄想の民俗史~

87: 自惚れられない癖

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ちょっと調子に乗ると大抵良いことはない、自信をみなぎらせて何かを誤ると滑稽であるという直感に根ざして、自分のベースの心理的安全性が低くなることにはほとほと呆れるものがあるが、一生脱せないものであることもわかっている。まあ、主に英語の話だ。おかげさまで未だにLinkedInでのEnglishに対してのLanguage欄は"Limited working proficiency"を示している。ひとつ上の"Professional working proficiency"にしてはどうかと2年前の就職活動の時に勧められたこともあるが、これはこの言語と向き合う時間が増えるほど簡単に上がらない気がしている。「完全に理解した -> チョットデキル」の図式と同じなのだろう。

「これ、3年くらいは辛いんだろうな」って、2年前の入社直後に書いていたのを偶然(とうとう閉じてしまうPathのログをエクスポートしたら)見つけて、割とあたっているようだし、もう1年辛いことが辛い気持ちになった。

そこかしこに成功体験はある。ミーティングをうまくやり通せた(やり過ごせた)とき、レトロスペクティブで言いたいことを言いのけたあと、ぱっと声をかけられ求められたヘルプに口頭で原因と解決方法を提示など、これ気分良いなというのはその後数時間か数日ほどは、その手触りを反芻して「完全に理解した」を味わうのだが、早々にコミュニケーションに失敗したり、他者から言語上の問題で気遣われたり、避けられたという状況に直面してまたリセットされる。こうなることへの恐怖心が強く、いつまで経っても我が物顔で第二言語を発せないのである。スキルがあるとは言えないものの、そういったことを何も気にせず話せていた知人たちを時々思い出して羨ましくなる。しかも、そういう人ほどこういう渡米をして全く新しい社会で暮らすことには向いているので、何故自分がこんな向かないことをやって、この歳で毎日恐怖をふんだんに味わっているのを俯瞰して笑えてくる。

自分には強制的なそういうやつがないとすぐ怠けるのでと、しんどいのうって思いながら生きることにしている。

残業代みたいな昇給

本人とは裏腹に上司や一部の同僚は僕に対してとても前向きである。というよりは、彼らはあまり言語について問題視しないのである。先の記事で2年が過ぎたと書いたが、その後半期の査定があったようでありがたいことに微々たるものだが昇給して貰えた。聞くに評価の部分は、通常業務上では言及がなく、僕が追加でやりたくてやっていたこと(デザインシステムの構築やコンポーネントライブラリの提供)が全プロダクトチームに良い影響を与えるものであったが故であった。例外的なものらしくそれを強調された(VP of Engineering から近くの個室に連れられ堅く握手をされる)が、いわゆるタイトルの変わるプロモートではなく、「これ放置して先に進むの?」みたいに言うのが苦手で、個人の時間で対応していたことが業務として観測されただけという解釈も出来るのでどうも素直に喜びづらいものでもあった。

好きにやった何かが評価されるのはありがたいので是非次のAnnual Reviewにはもうひとつ何かやって、タイトルを上げてもらって年収を200万円くらい載ることに飛び跳ねて喜んで、VPoEにハグでも求めたい。といってもまあ、前述のコミュニケーションがネックで自分のタイトルが頭打ちしている感も否めない。

最近はフロントエンド大臣みたいな状態になってきていて、次はとうとうプロダクトの顔であるところのキャンペーンページの表側をまるっと書き換えるプロジェクトをリードすることになったのだから、結果にあやかりたいものである。既に2度ほどやったステークホルダーでのミーティングでは破滅的な発語を繰り返していて、このクォーターを乗り切れる自信がない。