90: 経済的に生身の人を利用するのが苦手

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サンフランシスコに来て3つ目の物件に越してきた。1件目は1年半、2件目は3年を過ごした。上京した後に繰り返した引っ越しを思い出すと、実地で自分の価値観を擦り合わせてようやく熟れてくるのが3件目からのように思う。1件目はその土地に移るという高揚感から様々な要素が軽視されがち、2件目は1件目より良くなっていればまあそういうものかという我慢が機能し、3件目でようやく全ての不満と向き合うからかと予想している。実際、3件目の部屋は1年近く目をつけていた建物に運良く滑り込むことが出来たのもあって、暮らし始めて2週間を過ぎたところでの感想は「額を見ると暗い気持ちになる家賃の金額を除けば、ほとんど不満がない」となり、満足度の高い結果であるように思う。

ここで現れる価値観というのはあやふやで、不動産情報に乗るようなカタログスペックで比較するよりも、もう少し自分たちの生活に向き合って何が辛いのかを取り除くような選び方をする方が良いというのがわかってきた。妻が強盗に遭ったエリアを脱したい(そしてその頃に知った他のエリアの陽気さを得たい)、宅配便の受け取りが煩わしくない、作業に集中できる分離された部屋が欲しいといったところを筆頭にそれらのどれもが叶えられたのはとても大きい。

建物にジムは要らなかったし、おしゃれなコーヒー屋はそんなに近くになくても困らない。

ところで、「スーパーマーケットが近い」というのが、車を持たない自分たちの物件を選ぶ際に持っている要求のひとつにある。2件目の部屋も2ブロックそこそこのところにあって、東京に置き換えても十分に近いと言える部類で要件を満たしていたつもりだったのだが、3件目では1ブロック以内の極めて近い位置にしたところ、ドラスティックに感覚が変わって驚いた。週に1度の買い出しに少なからず感じるフラストレーションが消え去り、「コンビニがうちの冷蔵庫」みたいなフレーズををどこかで聞いたのを思い出すものがある。

こういった点をテクノロジーというか、サンフランシスコみのあるサービスで解決すればいいのに、すすんで使っていないという矛盾にはたと気がつく。例えば Instacart, AmazonFresh のようなサービスがあって、ウェブ上で選択したスーパーマーケットの商品たちを誰かが運んできてくれるので、わざわざスーパーマーケットの近くに無理に住む必要も無くなる。ただ、その「誰かが運んできてくれる」というのが苦手で、サービスの仕組みに乗っかって働く誰かとインタラクションするのがとにかく怖い。(単に都市の公共交通機関が好きというのももちろんだが)UberLyftのようなタクシーっぽいサービスも必要に迫られていないなら出来れば使いたくないのも似た理由にある。フリマ的なC2Cサービスみたいなものと理解すればいいのだが、どうしても働かされる側と働いてもらう側の溝が色濃く分かれるサービスに加担することへのもやもやが、実際の利便性を越えるコストとなってしまう。何かよくわからない罪悪感から都度チップを弾んでしまうよりは、自分でやれることは自分でしてしまう方に傾けがちなのは、以前同僚と同居していた部屋で掃除を外に発注するかどうかで揉めた時に、このくらいの掃除なんて自分でやるべきだと意地になった頃から変わっていないようだ。

逆にタクシー会社、運送会社みたいな概念であれば何も億劫に思わないのは想像力の欠如か、何か大事なものを隠してしまっているよう。